#劇場版おっさんずラブ ~春田と牧それぞれの「結婚」の意味~

※この記事は9/2にふせったーに掲載したものを再掲したものです。


鑑賞回数が増えていくことに当たり前になりつつあって、逆に意識できなかったのだけど、先日のBESTIAの鑑賞でこのことがすとんと腑に落ちた。

春田と牧、お互いが考える「結婚」が全然違う意味を持っていたのだと思う。


劇場版を通して描かれる、春田にとっての「結婚」は「家族になること」。

ドラマで、春田が部長と結婚しかける中で出した答えは「ずっと一緒にいたい」だった。それから1年、牧と向き合う中で、さらに一歩進み、得た結論が「家族になること」だったのだと思う。春田にとっての結婚は、とても前向きなイメージだ。

一方で、牧にとっての「結婚」は、ドラマでも劇場版でも、はっきりとは明言されていない。

だからこそ、彼の表情から読み取るしかないのだけど、個人的には「自分にはできないもの」だったのではないかと思う。牧と武川は春田のことを「あちら側の人間」と表現したことがあるけれど、まさに「あちら側」の世界のものだったのではないだろうか。春田とは異なり、もともと前向きなイメージではなかったかもしれない。


それを一番に感じるのが、仕事で牧の帰宅が遅くなるシーンだ。

メールすら返せないほどに疲れて帰宅した牧は、春田から「この先、結婚するってなったら、もっと色々話し合ってさ、協力しないといけないんじゃねえの?」と責められる。そのとき、特に「結婚」という言葉を使われた瞬間の、牧の春田に向ける視線はとても鋭い。私にはそれが、春田の意図するものが一体何か伺うように見えたし、警戒しているようにすら思えた。

春田の「結婚」は「牧と家族になりたい」。でも牧にとっては、自分は愛する人と結婚できない現実にずっと向き合ってきたのではないだろうか。だからこそ、「男同士は、法律的に結婚できないのに?」「春田はそのことを分かっているのか?」「男同士の結婚ってなんだと思っているのか?」と、春田が使うその言葉の意味を悩んだと思う。春田がもしそういう現実を知らなかったら。春田に本当のことを伝えてしまったら。春田がこれまで疑うこともなかった「結婚」が、牧とはできない現実に気が付いてしまったら。

牧は春田にプロポーズされて幸せだったと思う。でも、自分たちが結婚できないことを分かっていたからこそ、一歩進んで「春田さんにとって、俺との結婚ってどういう意味ですか?」と、自分たちの関係を確認する一言が言えなかったのだとも思う。もし、春田が現実に気が付いてしまったら、別れて欲しいと言われるかもしれない。春田が現実に気が付かなければ、ここから先に進むこともないけれど、今の関係を持続させることはできる(本当は先に進まないことが持続とも言い切れないのだけれど。)。牧は春田と一緒にいられて幸せだったからこそ、今の関係を大事に思っているからこそ、もう一歩先に踏み込めなかったし、自分の抱える不安や弱さを曝け出せなかった。

だからこそ、結婚の真意までは尋ねることができず、「結婚って、本気で言ってます?」と戸惑いながら聞くのが精いっぱいだし、その意図が春田に伝わらなかった瞬間に、「実際、そんな焦ってやんなくてもいいんじゃないかなって……」と取り繕うように作り笑いを見せる。自分たちの関係性に対し、変化を望まない。前にも書いたけれど、いつか社会の方が自分たちの関係を受け入れてくれる日もくるかもしれない。その日まで待てばつらい思いをしなくても済む、という想いもあったかもしれない。


一方で、春田にとっての「結婚」は「家族になりたい」。だから、その返答としての「結婚って、本気で言ってます?」という牧の言葉が、「春田と家族になること」自体を拒否されたように感じられてしまう。春田からすれば、牧の心が離れていくようにも思えたはずだ。あのプロポーズ(=1年前)は受け入れてくれたはずなのに、と。この1年で牧が変わってしまったように受け止めたかもしれない。(だからこそ、春田は牧が変わったしまった理由を求め、嫉妬する。「夢」や「仕事」であったり、「狸穴」であったり。恋愛という関係性における牧の姿が、あまりに甘かったからこそ。)

同じ「結婚」という言葉を使っているのに、それに対する二人の認識と受け止め方には大きなずれがある。そして、このずれこそが、物語におけるすれ違いの根幹となっていく。


炎の中で春田が牧に語り掛けるのは、春田の「結婚してください」というプロポーズの、春田の思う「結婚」の真意である。「俺、牧と本気で家族になりたいって思った」。でも、「法律的に結婚できない」ことも「子供が好き」だけど、男同士の結婚で子供は作れないことも春田は気付いていた。春田が牧と出会うまでに思い描いていた「結婚」そのものが、牧とはできないことを知っていた。それでも、「結婚」という言葉を使って、牧と家族になりたかった。春田はその意味を、ちゃんと深く考えていた。

一方で、牧は春田とそういう会話を一番したくなかったはずだ。牧の言う、「俺も、忙しいのを言い訳にして、春田さんとちゃんと向き合わなかった」ものは、そうした春田と牧の根本的な価値観の違いではないか。春田と二人きりの牧を見れば分かる。恋愛をしているときの牧は、春田に対して緩みっぱなしで、とても甘い。牧は、そうした違いには向き合わず、恋愛の楽しい面だけ見ようとした。もしかしたら、春田にも楽しい面だけ見せたかったのかもしれない。だけど、それでは恋人同士でいられても、その先には進めない。

牧は自分の弱い部分を見て見ぬふりをしてきた。春田との関係が深まれば深まるほど、そうした価値観の違いを掘り起こし、改めてすり合わせていく作業は労力がいる。なによりも難しい。春田と牧の場合は、それがふたりを結び付けた、ふたりの関係性の根幹となる「結婚」という価値観だったからこそ、なおさらだ。ふたりの中で、その認識にずれがあることが明らかになってしまえば、関係そのものが壊れてしてしまう可能性だってある。

あの炎の中で、ようやく二人は二人の持つ「結婚すること」の本当の意味に向き合えたのだと思う。まさに、「二人のとっての正解」の初めの一歩を踏み出せたのだ。


その後、狸穴からシンガポール赴任の話を打診される際に、狸穴が牧に「お前も家庭のこともあるから、簡単には決められないよな」と言葉をかけている。

これは春田と牧が本当に結婚したのか否かということ以上に、牧が春田との関係を「結婚している」と認めることができたこと、さらにはそれを上司である狸穴に伝えられたということを間接的に表しており、その点が非常に重要だと思う。

ただし、例えば劇場版ですら「お友達」だと偽った春田の母に、二人の関係性をきちんと説明できたのかとか、狸穴に対し相手が春田であることもで伝えられているかとか、そこまでは分からない。

ただ、炎の中で、春田の思う「結婚」を受け入れることができたからこそ、あの事件のあとで、「俺、結婚したんです」とか、あるいは「実は同棲ではなくて結婚していたんです」と伝えられたのだと思う。牧が自分たちの関係を「結婚」だと受け止められたということ、つまり春田とちゃんと向き合えたということが、この劇場版における大きな大きな変化だと思う。


ラストシーンで二人の薬指には指輪が光り、暗に結婚したことを仄めかしているようにも見える。

しかし、二人は「本当に」「結婚」したのか? 春田の母には二人の関係性をきちんと説明できたのか? このあたりを描かなかったのは、劇場版がドラマよりも一歩踏み込んだとはいえ、やはりおっさんずラブというドラマの優しさだと思う(このふたつは現時点で向き合うには、センシティブであり、高いリアリティが求められるからだ。)。そして、個人的には、ふたりはラストに指輪交換をしていても、そこまではいっていないのではないかという気がする。

結婚は恋愛よりも社会的な営みだ。愛し合う二人だけではできない。家族や社会を巻き込み、新しい家庭を作っていくものだ。春田と牧は二人の関係を乗り越えたその先に、どのようにして社会と関わっていくのか。

願わくば、さらに一歩先へ踏み込んだ未来の姿を、おっさんずラブに、なによりも春田と牧に、いつの日か描いてもらいたい。

0コメント

  • 1000 / 1000