#ポルノグラファー ~憧れと尊敬、好きと衝動の間~
ポルノグラファーとインディゴの気分。
誤解を承知で書くと、このふたつのドラマは同じ登場人物の下、連続したシリーズにも拘わらず、それぞれの物語における性衝動への向き合い方、描き方が大きく異なっていて、それがとても面白かった。
ポルノグラファーにおける性衝動は、あくまで非日常世界のものである一方、インディゴの気分におけるそれは日常に近い、というよりも、それこそがむしろふたりの関係をつなぎとめる最も重要な要素かもしれない。
そういうわけで、このブログは、ポルノグラファーを見て感じたことの備忘録である。
ブログにするほどまとまっていないので恐縮であるが、自分の中の色々を整理するために文章に残しておきたい。
ポルノグラファーを見ていて最初に浮かんだ言葉は、身も蓋もない言い方をすると、「純文学エロ」である(ファンの皆様、ごめんなさい……)。
美しい音楽、優しい世界観、見目麗しい登場人物。
果たして、ポルノ作家を題材とする必要はあるのだろうかと正直なところ思った。
他の職業だったとしても、年上の「先生」と大学生の間の恋は描けるのではないか。
しかし、普通の大学生として描かれる久住春彦という青年が、木島理生という年上でミステリアスな大人に溺れていく説得力を生み出すためには、それ相応の「非日常」が必要で、この場合ポルノ作家、官能小説という要素が、彼を日常から非日常に誘うための装置となっていると言えるのかもしれない。
ポルノグラファーで面白さを感じたのは、そうした「非日常」を舞台としながら、物語の軸は「日常」に置き続けることである。
言い換えると、ポルノグラファーでは、キスであったり、それ以上の肉体的関係を彷彿とさせるシーンが、1話あたりほぼ1回は出てくる(おっさんずラブで初めてBLにがっつり触れた初心者は、「ここは大変BLらしい」と思った(OLがBLなのかという議論はさておき。))。
しかし、それを官能小説の世界として完結させているとか、久住の妄想であるとか、その多くが「日常」「現実」と切り離された空想として扱われるのである。
肉体的関係を映像として描きつつも、過度に囚われるようなことや、それを物語の中心に据えるようなことはしない。あくまで、久住が年上の作家に惹かれていく過程を丁寧に描き、少しずつ触れたくなる衝動をあぶり出す。
BLという題材において、いや、恋愛ドラマというジャンルにおいて、要するにそうした「エロシーン」「ラブシーン」がどれほど重要なのかは分からないけれど、それはきちんと描きながらも、心境の変化に視点を向けさせる構成が素晴らしいと思った。
このドラマは、久住春彦の視点で物語が進んでいく。久住の心の声はモノローグにもなるので、視聴者はどうしても久住に感情移入して、彼の目を通して、ミステリアスなポルノ作家、木島理生を知っていくこととなる。
「先生、先生」と木島の魅力に惹かれていく若き大学生と、そんな彼をあしらい、時に邪見にしながらも、本当は誰よりもその純粋なまなざしを欲している大人という関係性。
この久住が木島に惹かれていく過程が大変心地よい。
しかし、それは「好き」とか「恋」などというあたたかく、穏やかな感情とは少し違う。「好き」といういわゆる「恋心」よりも、「衝動」という言葉の方が似つかわしい。私はそれを「尊敬」、もっと直感的な言い方をすれば、「自分は持っていないものへの欲求」として捉えていた。「好き」や「恋」よりももっと切実なもの。
だからこそ、インディゴな気分の最後で、久住と木島の間に確かな「好き」や「恋」が存在したことに、少なからず驚きを感じたのも事実である。
(卵か鶏か…ではないけれど、このドラマ(インディゴの気分も含めて)の場合は、「好き」が先に来るのか、それとも「衝動」が先に来るのか、どちらが先だろうか、という点が常々疑問である。)
少し話がそれたので元に戻そう。
でも、2回目に見たときに、実はこの物語は、久住が木島に惹かれていく過程を描いているように見えて、実は木島の方が久住の存在をずっと欲しているということ。そして、その強い感情を追っていくことこそが、このドラマの魅力なのではないか、と感じた。
木島理生というキャラクターについては、正直なところ、1回通して見ただけでは、私はそのすべてをつかみ切れなかった。
うっすらと理解できたのは、このドラマの雰囲気を作り出しているのは、他ならぬ彼であるということ。美しく儚く人誑し。普段の淡々とした雰囲気に内在される、隠れた狂気性。それゆえに溢れ出る色気。語り手は久住(インディゴの気分では城戸)であるけれど、あくまで、このドラマの主人公は木島理生。
存在感が強すぎて、だからこそ感情の流れに目がいかなかった。
もしかしたらこのドラマの本当の魅力は、孤独を感じる木島理生が、久住春彦という、自分には無いものを持つ青年に惹かれていく過程を、断片的に追っていくことなのではないか。
2回目に、久住を見る木島の表情を見ていて、ようやくそのように思い至った。
木島は、飄々としたキャラクターに見えるけれど、本当はおそらく、久住が木島に寄せる思い以上に、切実に久住の存在を欲している。その自分にはない純粋さが眩しい。それが自分に向けられていることのむずかゆさ。喜び。想像がつかないからこそ、驚きもあるし、一緒にいて面白い。モノクロの、すべて削り取られた人生に、彩りと潤いを与えてくれる人物。
例えば2話で、木島が趣味のひとつである、レコードをかけたときに、その感想を問いかけると久住は素直に「分かりません」と言う。相手から好かれる――つまり、自分の要求を押し通すのではなくて、相手の求めるものに応じ、その人の求める自分を自然と差し出せる。意識、無意識にかかわらず――木島からしたら、意外だったことだろう。人の好きなものを前にしても、気遣いなどひとつもない。あまりに素直すぎる、久住の言葉が。
あるいは3話で、買い出しに出かけていた久住が、なぜだか走って――それは久住が木島と城戸の関係性であらぬ妄想をして慌てたからなのだけど――戻ってくる。その行動の予想の付かなさ。
そして、直接的には多くは描かれていないけれど、おそらく木島の小説に対して、どんなシーンが好きだとか、面白かったとか……久住はそうした感想をたくさん伝えたのだろう。
小説家だから、本を借りたから、自分の思う感想を伝える。そういう、人としての、取り繕わないまっすぐさに木島がどれだけ救われたか分からない。
(久住とのシーンから感じられる、木島の驚きと高揚感が私は好きで、もし一番好きなシーンをあげるとしたら、3話で走って戻ってきた久住を見て、木島が心底楽しそうに破顔するところではないかと思う。)
だけれども、木島は孤独であり、久住のそうした純粋さを欲するからこそ、彼を自分には近づけないようにする。久住が自分に近づけば近づくほど、その明るさを、純粋さをそのままに留め、大人になって欲しいと願うからこそ、自分のような存在からは遠ざけておくべきだと。だからこそ、キスをした翌朝には「何にも覚えていない」「大学に行った方がいい」とわざと突き放すのだし、彼が告白をしてきたときには、その想いを踏みにじるかのように「精神的関係」ではなく「肉体的関係」を望んでいたのではないかと嘲笑する。
久住にとって木島はある意味「尊敬する相手」で「特別」なのだと思うけれど、本当はそれ以上に、孤独な作家人生を歩んできた木島にとって、久住の存在が「特別」で、それゆえに迂闊に触れられないのだということ感じさせる。
だからこそ、全話でいわゆる「エロシーン」を描きながらも、このふたりについては直接的な表現を避けたのではないか。
きっと木島にとって、恋人であるとか、肉体的関係であった人は数多くいたことだろうと思う。それこそ、「断れない性格だから」なのかもしれない。でも、彼から「力になりたい」とか「支えたい」とか、あるいは「そのままでいて欲しい」とか――相手の幸せを願った人がどれほどいたことだろう。それが久住春彦だったのだろうな、と思う。
ポルノ作家で、官能小説の口述筆記。肉体的関係をほのめかす数々のシーン。
そうした中にある、相手のそばにいたい、この人のことが欲しい、この人に幸せになって欲しいと感じられるところが、私は好きである。
以上が、ポルノグラファーの感想である。
なお、余談であるが、ここまでしっかりと関係性を描けるのならば、ポルノグラファーに関して言えば、もう少しエロシーンが無くても良かったのではないか、その方がこの物語は数多くの人に届いたのではないか、と個人的には思わなくもない。
でも最初に書いたとおり、このドラマにおいて、久住春彦が木島理生に恋するきっかけは間違いなく「官能小説の口述筆記」という特殊環境があるので、難しいところではあるが。
インディゴの気分について言えば、その肉体的関係が日常を形作っているし、相手への好意が先なのか、それとも欲望が先なのか……など、ドラマの本質と二人の関係性を語るうえで、そうしたシーンは切っても切り離せないと思うのだけど。
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