#おっさんずラブ の2話が好きすぎるという話

はじめに

おっさんずラブに関する感想はこれまでの記事で散々書いてしまっているので、今更改めて書くことはない。

でも、今でもおっさんずラブが好きだ、と叫びたくなるような衝動を抱えてしまい、どうしようもなくなることがある。まさにそう、それが今だ。

二次創作ができれば、それを小説や絵にすればいいのかもしれないし、手芸ができれば作品を作り上げられるのかもしれない。でも、私はなにもできない。だから、せめてその衝動をこうして文字に書き起こそうと思う。


2話の魅力


私は、おっさんずラブ全7話の中でも、特に2話が大好きだ。

どれくらい好きかというと、久しぶりにおっさんずラブを見ようとするとまず2話から見始めるくらい。時間がなくて1話だけ見るとすれば、間違いなく2話を選ぶ。おそらく、2話の視聴回数とその他1話と3~7話の合計した視聴回数の割合が、6:4くらいではないかと思う。

なぜこんなに好きなのだろうと自分でも思うし、その理由はいくつもあるのだと思う。

ひとつはお仕事ドラマとしての完成度の高さだ。「何もかも違う他人とは一緒に暮らせないのか?」というテーマを不動産という仕事と春田・牧の関係両側面から見せていく。

あと、忘れてはならないのが、初見時と2回目以降の視聴時で、解釈が面白いくらい変わってくるところ。2話はコメディとしては大変秀逸な回である。「神様、こんなに消えてくれないキスの感触、初めてです」というモノローグはクスリとくる。でも、もう一度見返すと、実は7話を通した恋愛ドラマの展開において、ひとつの鍵となる回である。

さらには、これは言うまでもない。最後の額へのキスの美しさなど恋愛ドラマとしてのクオリティの高さ。このように、見所が多いことは言うまでもない。

でも、やっぱり一番好きなところは、春田と牧がそれぞれ、お互いのことをとても好きなことが伝わってくるからではないかと思う。


牧凌太の春田創一に対する「恋」

2話は何と言っても牧が春田への気持ちに気が付き、爆発させる最初の回だ。

1話最後の「巨根じゃだめですか?」という衝撃の告白から引き続くこの回では、牧の春田への思いの強さが描かれる。上司である黒澤部長にキャットファイトを仕掛けるところ。春田の物分かりの悪さに思わず「好きなんですよ!」とキレてしまうところ。

エリートに見える牧凌太が、春田のことになると感情を露わにしていく。

意外性という観点でいえば、これは実は面白い。だから、2話はコメディドラマとして大変良くできている。1話ではおとなしく礼儀正しかった牧が、黒澤部長に食ってかかっていくというギャップ。それも好きな相手の悪いところを10個すらすらと上げていくのだから、面白くないはずがない。

でも、一方で、牧が春田に寄せる思いが春田のそれとは違っていることを自覚し、自分に嘘をつき始める回でもある。

思ってもいない「冗談ですよ」という言葉。笑っていない目。潤み揺れる瞳。どこまでも秀逸なコメディドラマの裏で、牧凌太は自分の気持ちをなんとか止めようとする。そこに私たちは切なさを覚える。


春田創一の牧凌太に対する「好き」

一方の春田は、この時点で牧のことを恋愛対象としては意識していない。

春田にとって牧は会社の同僚で、一緒にいて楽しい気の合う後輩。だからこそ、春田は牧から恋愛対象として見られることに違和感を覚える。ルームシェアを承諾し、食事を作り、家事を手伝ってくれた。春田が楽しいと思い友情を感じていたその根底には、「恋」という下心があったから。同じ気持ちで向き合っていたわけではない。それを春田は「裏切り」だと思う。

実は私はこのすれ違いが凄く好きである。春田は春田で、この時点で牧のことをすごく好きだからだ。

2話はコメディと恋愛ドラマで見たときに、コメディに寄せている部分が多いので、春田の気持ちの核心は突かない。例えば、春田は牧を追いかける中で、なぜ自分は走っているのか、牧との生活をどう思っていたのか、牧に告白されたことをどう受け止めたらいいのかを改めて考えるけれど、その答えは「俺はロリで巨乳が好きなんだ」である。この「ロリで巨乳」という言葉の強さ。それまでの真剣な回想とのギャップに笑わずにはいられない。

でも、見返す回数を重ねるにつれて感じるのは、実はそうした笑いは、表面的なものにすぎないということだ。

春田は、その時点での春田の考えられる範疇で、牧のことが好きだった。

「会社の同僚」として。「一緒にいて楽しい」気の合う後輩として。そのときの春田には、牧との関係を表現できるカテゴリーや言葉がそれしかなかった。「男同士でキスなんてマジであり得ない」春田が、牧との関係性を解釈する言葉がそれしかなかったのだ。

でも、それは決して、春田が牧のことを拒絶しているのではない。むしろ、春田は、春田が表現できる、春田がその時点で認識できる世界の中で、牧のことがとても好きだった。

だからこそ、春田は牧がいなくなって全力で走るのだろうし、「俺にはお前が必要なんだよ」「今までみたいに一緒に暮らせないのかな」と彼をどうにかして引き留めようとする。それが、春田の常識の中での、牧との関係性をつなぎとめられる、唯一の言葉だからだ。

そうだ。そう考えると、全然、牧の片思いなどではないのだ。

牧は牧で、春田のことが好きだし、春田は春田で、牧のことが好きなのだ。その感情を表す言葉が一致しなくても、でも彼らは、それぞれの常識の中で、「何もかも違って」いたとしても、それぞれの世界で、お互いのことが好きで、自分にとってあなたの存在が必要なのだと叫びあうのがこの2話である。


人を「好き」になることとは

私は、それが必ずしも「恋」でなければならないのか、と思う。

仮に「恋」ではなかったとしても、お互いに、お互いのことを想い、寄り添えていれば、これほど素敵なことはないのではないか。それが「恋」でなかったとしても、そうして本音で向き合って、自分の気持ちを伝えたいと思いあえるだけで、幸せなような気もする。そうやって相手に少しずつ自分心を開き、相手と自分の気持ちが重なっていくプロセスこそが、もしかしたら一番気持ちが高ぶる瞬間かもしれない。

この2話は、そういうプロセスを描いているところがみずみずしくて、何度見ても甘美な気持ちにさせられるのである。

そして、カズたち夫婦が、一から二人に必要なものを考え始めたように、「男同士なんてあり得ない」春田が、一から牧との関係を考え始めたときに、そこにあった「好き」が「恋」なのだと気が付くところは、やっぱり何度見ても素晴らしい。

その「好き」を「恋」なのだと認められる。「一緒にいて楽しいから好き」でも良かったはずだ。「一番好きな後輩」「すごく気の合う友達」でも良かった。それでも、それを牧の「恋」と同じなのだと飛び越えられる強さ。自分は、あなたのことのを求めているのだと、言葉で、身体で伝えられるしなやかさ。

……やはりこのドラマは凄いと思う。

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