#おっさんずラブ における #牧凌太 というキャラクターについて
「おっさんずラブ」というドラマの肝は、牧凌太だと思っている。
これは私自身がここまでこのドラマにのめり込んだ大きなきっかけが6話だということが大きな理由のひとつではあるけれど、名刺風キーホルダーや名言マフラータオルなど、公式グッズを出すたびに軒並み牧関係のものから売り切れていくし、最近でいえば、新宿駅プロムナードの広告において、牧ポスターから名台詞カードがあっという間に無くなったことも記憶に新しく、みんな牧凌太が好きなのだと感じることは多い。
でもこれは、林遣都という俳優が抜群に人気だから、ということとイコールではないし、言うまでも無く、田中圭演じる春田創一の存在感が牧凌太を下回るというわけでは決してない。
ただ、牧凌太という存在が、あのドラマが恋愛ドラマとして成立している重要なファクターであること、そして視聴者である我々の多くは彼に感情移入し、彼を通して春田の魅力に気付いていく、そのことだけは間違いない。
だからこそ、牧には幸せになって欲しいと願ってしまう。
それは、他のドラマでもそうであるように、彼を演じた林遣都という俳優自身の応援に結びつくところもあるけれど、それだけでは満たされない。あくまで牧凌太というキャラクターを見たいのだし、牧に幸せになって欲しいのだ。
これは林遣都がいかに牧という存在に説得力を持たせたかということに他ならないのだけど、それにしてもこの現象は不思議だといつも思う。
私がこのドラマを好きなのは、春田が自分の気持ちに気付くところで、それによりコメディドラマだと思っていたものが、実は恋愛ドラマだと視点が変わってしまう――同じ台詞やシーンでも、2回目に見ると意味が変わってしまう――ところなので、当初、牧の視点からドラマを見るということがほとんどなかった。
だからこそ、牧がどういう人物なのかも、正直よく分からなかった。
だけど、やはり牧凌太という存在は魅力的であり、何度も見るうちに考えずにはいられなくなった。
なぜ、牧は春田のことが好きなのだろう。春田のどこが好きなのだろう。
そして、果たして、牧凌太とはどのような人物なのだろうか。なぜ、視聴者はあんなにも彼に感情移入してしまうのだろうか。
今回はここ数か月考えていた、これらの点を改めて文章として残しておきたいと思う。
牧が春田を好きということ
牧は春田のどこが好きなのだろう。いつから好きなのだろう。
このドラマを繰り返し見るうちに、なんとなく分かっていると思っていたそのことを、実は全然理解していないのだと思い至った。
このドラマの素晴らしいところは、「好き」が分かりやすすぎないところだと思う。
春田は、牧は、黒澤は、相手のここが、この時から好きなんだ、とはっきりとは語らない(だからこそ、考える隙間がある。そしてそれが楽しいのだけど(笑))。
私は、牧が春田を好きな点は「優しさ」だと思う。
「優しさ」――この言葉はまた意味が広すぎるので、もう少し具体的に書くと――春田が自らの心を怖がること無く他者に開き、そして他人を受け入れる懐の深さ、だと思うのだ。
もっと言えば、心に受け入れてくれるような温かさや安心感、もしくは自己世界で完結せずに、外の世界に対して自分をオープンにしておける強さやしなやかさではないかと思う。
それは、牧との関係においては、特に1話ではっきりと明示されている。
この回では、春田の心をは常に牧に対して開かれている。
例えば、第二営業所に異動してきてすぐの嬉しそうな顔もそうだし、遅くまでポスティングを続けた牧を労わる面倒見の良さ、そして何よりもルームシェアに誘う、自分の実家に引っ越してきても良いと声をかける点には顕著に表れている。
出会ったばかりの、まだ素姓もよく分からない牧に対して、春田はむやみに壁を作ったりせず、フラットに、むしろその先に好意(それは決して「恋」ではないにせよ)を感じる行動を取る。それが春田にとって特別なのか、それとも普通なのか――つまり、牧に無意識ながら恋しているからこそ、牧だからこそやっていることのか、あるいはその相手が誰であろうと関係なくそのような態度を取るのか――という議論はもちろんあると思うのだけど、個人的には、春田のその他人に自分の心を開き、相手を受け入れる「優しさ」は、牧に限られたものではないと思う。それゆえに、アパートの管理人さんと打ち解け、街のひとたちと仲良くなれるのだろう。
だからこそ、春田は周囲の人に心を開くのと同じように、牧に対しても常に心を開いている。
その中でも特にルームシェア、そして何よりも「営業虎の巻」は、そんな春田の「優しさ」が牧にだけ向いた瞬間で、牧が春田に恋するきっかけのひとつだろうと思う。
そんな春田が自らの「優しさ」を牧に向けなかった、むしろ「拒絶」し、黒澤に向けたのが、他でもない病院のシーンだ。
「俺、どうしようかと思ったんですよ!」と牧が、目を真っ赤にして春田のことを心配する姿に、「牧もそんな顔するんだ」と春田は意外に思う。その直後、「はるたん!」と病室に飛び込んできた黒澤が「乙女」に変わりそうな気配を察知し、思わず牧に対し、病室から出るよう慌てて声をかける。
1話では、それまでずっと春田の「優しさ」は牧に向いていたし、もっと言えば牧にだけ向いた瞬間すらあった。それが、牧と黒澤が二人揃って春田に――その差し迫った状況から意図せず、無意識に――心を開いてしまったこのシーンでは、黒澤だけが選ばれる(ように結果的には映る。)。
その後、家に帰った牧は春田の営業日報に書かれた黒澤からのコメントを見つけてしまう。明らかに上司としての立場を超えたものであることに気付き、病室での黒澤の春田に対する態度、春田に対してどんな想いを抱いているかを確信したはずだ。
だからこそ、春田を想うのが自分一人ではないこと、そして同じ状況にいたときに黒澤の方が選ばれたこと、その焦りから、おそらく想いを止められなかったのだし、その結果として、あのような告白をしてしまったのだろう。
私はこの1話と、引き続く2話がとても好きで何回も繰り返し見ているけれど、特にこの1話を発端として、なぜ牧は春田が好きなのだろうと観点からドラマを見返していくうちに、彼にに対する印象が少しずつ変わってきた。
彼は公式的には「ライバル」という立ち位置で、春田に対し積極的に(むしろアグレッシブに?)アタックしているように見える。特に1~3話はそうだ。
また、公式ブックでの牧のキャラクター紹介に「母親のように世話を焼き、春田を楽に生活させる」とか「尽くす恋」とあるように、相手に尽くしているようにも見えるし、春田の幸せを考えて身を引くという、他者本位の愛情を持っているようにも見える。そしてそれこそが、4話以降の牧の切なさの最大の要因でもある。
でも、その本質は、「愛したい」人ではなくて、「愛されたい」「選ばれたい」人なのではないか、と思う。
確かに彼には、「好きだ」と自分から恋焦がれる相手にキスをし、その人を自分のものにするためならば上司にだってキャットファイトを仕掛け、混乱する先輩に「じゃあ付き合って下さい」と畳みかけるような男らしさがある。そしてその男らしさが、牧の魅力でもあるし、ひいていえば、このドラマが新鮮でかつ魅力的な部分でもある。
だけど、そこには一方的に想いを伝えられればそれでいい、という割り切りの良さがあるわけではない。その想いを受け止めて欲しい、自分の存在を認めて欲しいという想いが非常に強い。
本質的には愛されたい、自分のことを見ていて欲しい、認めて欲しいという、そういう人間なのだろうと思う。
牧凌太という人
こうした牧凌太の性格をどのように説明したらいいのだろう、としばらく考えていた。
一言で言うとすれば「一見すると完璧に見えるが、その内実、男性が好きであるという性的指向に端を発する悩みからネガティブであり、自己肯定感が低い」ということのような気がするのだけど、あまりに綺麗にまとまりすぎていて、個人的にはこの表現はあまり好きではない。見落としているものが多すぎる気がする。
そこで、自分の中で、もう少し整理した牧というキャラクターの解釈は次のようなものだ。
本社から営業所に異動してきた4年目のエース。仕事もできて家事も料理もできる。一見すると完璧な存在。
その一方で、自己評価が低い。それは性的マイノリティという境遇で悩みも少なくなく、おそらく思春期は周囲と自らを比較し、自分が世間的に普通ではない、常識の範疇にはないと悩んだことだろうと思う。ネガティブになることも多かったはずだ。自分で自分の存在を肯定できないからこそ、人一倍周りからの評価を得て、自分の存在を肯定しようとする。世間や常識を重んじる。いわゆる「優等生」だ。
高校時代は野球部と、彼の男らしい性格からは想像に難くないけれど、ただ、性的指向からすれば、そこで悩むことも少なからずあったのではないだろうか。それでも野球部でいたのは、男としての自分の存在を肯定できなかったからこそ、あえて男らしい部活を選んだのではないかという気もする。
就職先の天空不動産は、豊洲地区の再開発という、大型プロジェクトを手掛けるようなデベロッパーであることも考えると、現実社会でいえば三○不動産とか、○菱地所のイメージ。そうだとすれば、きっと大学も偏差値の高い大学に進んだことだろう。早慶くらいの。運動も勉強もできる、理想的な息子だ。
その一方で、就職活動の際には、「周りがどんどんやりたい仕事とか会社を見つけていく中で、俺は特にそういうのはなくて」と語る。自分で選ぶことが苦手なのだと思う。確固たる「好き」が実はあまりない。というか、自己を肯定できないからこそ、自分の好きという気持ちに自信が持てないのでは。いや、逆かもしれない。自分の「好き」という気持ちは、世間的に見たらおかしいと思っていたからこそ、それを肯定できなかったのかもしれない。もしくは、叶わないことが前提だったことも、大きいかもしれない。
でも本当は「自分の好きな仕事をするんじゃない。自分の仕事を好きになるんだ」という武川の言葉に感銘を受けたように、自ら選ぶことができなくても、選ばれた自分の立場を好きになりたい。立場を与えて欲しいのだ。そして、選んでくれたもののことを、好きになりたい。
しかし、そうは言いながらも都市開発もできるような大手の不動産会社に入社する。そこでも当然のように若手のエース言われる仕事ぶり。彼は常に周囲からしたら「完璧」なのだ。でも牧は自分のことをそうは思っていない。「完璧な牧くん」は彼が周囲、世間から求められる期待に応じて作っているものだから。
だから、本質的なところで、彼自身はどこか満たされない。今でもなお、本当の自分を、世間や常識と比較し、その基準に満たないと怖くなってしまう。「俺なんて欠陥だらけですから」が本音だと思う。
牧凌太という人は、常に建前と本音がきっちり分かれているのだと思う。だから、二面性があって、時にアンビバレントな側面が目立つ。
彼の建前、彼が周囲の期待に応じて、若しくは「こうあるべき」として努力して作り上げたのが、野球部で、おそらく勉強もできて、大手の不動産会社に入社してしまう聡明さを持ち合わせ、そこでもエースと呼ばれる、仕事もできる完璧な存在。
でも、彼の本音、彼が自分らしさだと思っているのは、植物観賞や読書が趣味で、自分のやりたいことも分からない、自分の好きなものに自信が持てない、自分を肯定できない、内気な青年。
パーソナルスペースが近い人が嫌いなのも、要は、自分の本音の部分に立ち入らせたくないのではないか。弱い本当の自分を見せたくないのでは。
常に周囲と一定の距離感を保ち、世間において認められる、常識的な、むしろ「完璧」である自分を見せて、適切に評価されるために。
だから、最近は、個人的に私は牧の「尽くす恋」とか、「春田に対する愛が深い」、という言葉が少し違うような気がしている。
いや、多分彼は「優等生」だから表面的にはそれで正解なのだと思う。
彼は周りから自分がそう見えるように振る舞うし、自分の行動を説明する時に、他人に対してまず最初にそういう言葉を選ぶ。賢いからこそ、「正解」を選べる。
例えば、別れた理由の「本当に好きな人には、幸せになって欲しいから」とか。おそらくそれも本音のひとつ。
だけど、本質的にはもっと自分本位で、我儘な人間なのではないかとも思う。自分に自信がないからこそ、選んで欲しい。選んでくれた人を好きになりたい。
6話ラストの、「春田さんといると苦しいです」「春田さんのことなんか好きじゃない」も、あれは春田と別れるための、つまり春田のための嘘なのかもしれない。しかし、もっと言えば、「それでも俺は牧が好きだ」と、ちずでも黒澤でもなく、他でもない自分を選んで欲しいがための言葉にも聞える。
7話でちずに言った「結局自分が傷付く前に逃げただけですね。そんな良い奴じゃないですから、俺」は、そんな建前の多い彼の言葉の中の、数少ない本音なのだと思う。
そして、こうした牧の在り方は、春田の在り方とは全く異なる。
春田にはそういう「建前と本音」とか「表と裏」というものが基本的にない。常に本音を見せて、自分の心を開くし、相手のことも受け止められる。春田は「優しい」から。
だからこそ、春田に好かれることが、牧にとってはこれ以上無く特別なことなのだろうと思う。
まっすぐ周りの人を愛し、そして同じだけ愛される春田だからこそ魅かれたのだろうし、そんな春田が他でもない自分を認め、評価し、愛してくれることは、自分自身を肯定できない牧にとってどんなに嬉しいことだっただろう。温かく安心感に包まれた想いだっただろう。
だからこそ、それまで自らの「好き」という気持ちで選ぶことをしなかった、できなかった牧が、春田に対する想いは抑えられなかったのだと思う。1話のシャワーキスも、2話の額へのキスも。5話の唐突な告白も。
自ら他でもない彼を選びたいと思ったし、そんな彼だからこそ、本当に自分を選んで欲しいと思ったのだろう。
感情移入するということ
牧凌太に女性がここまで感情移入する理由の大部分は、ひとつには林遣都のあの見目麗しい容貌にあるだろうし、もっと言えば、林遣都の演技、特に言葉以外の振る舞いが、牧の感情、その中でも「本音」の部分、もっといえば「本音を隠して建前を演じている」という機微の細かさまでしっかりと伝えられるからだと思う。
しかし、一歩踏み込んで考えると――これはまさしく想像の部分なので、「いや、そうではない」という意見が多数出ることも想定したうえで、なのだけど――こうした牧自身の在り方そのものに、共感するのではないかすら思ってしまう。
常に世間と比較し、その期待に応えるように、あるいは常識からはみ出さないように、「完璧」な自分を作っているけれど、本当は「欠陥だらけ」で、弱いところばかり。
一見すると、好きなものに対し、仕事に対し、あるいは家事に対して、積極的に見えるのかもしれない。でも、本音では全然自信なんてない。だからこそ、そんな自分のことを選んで欲しいし、認めて欲しい。
そういう牧の精神性そのものに共感し、気持ちに寄り添ってしまうのではないだろうか。
だからこそ、私たちは牧凌太の幸せを願うのだ。
牧の幸せは、ある意味、本音を隠し、建前という現実を生きる自分自身のカタルシスにつながるのではないかと思う。
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